ボルネオ旅 キナバル登山
東南アジア最高峰、キナバル山に登って来ました。ボルネオ島のマレーシア・サバ州🇲🇾です。
この旅はガイドの先輩、冒険小屋のヒロさん、一滴のアキさんと、そのファミリーの皆さんと一緒。前半はパックラフトで川下りだったのですが、写真がまだ無いので先に登山の記録をつけております。
コタキナバル〜登山口〜PANALABAN
サバ州の州都、コタキナバル中心地のホテルを6時に出発。バンで国立公園を目指します。
途中の街で朝ごはん。白湯ラーメンのローストチキンのせ。がっつり食べてハイクアップに備えます。
約1週間の滞在中は何を食べても美味しくて、たくさん歩いたのに、帰国当日は1.5キロくらい増量してました…
主食の麺やご飯含め、ほとんどの料理に油がたっぷり使ってあるからかな?
国立公園の事務所で手続きを済ませ、現地の登山ガイドさんと合流。シャトルバスに乗って登山口まで向かいます。
トレッキングには5対1の割合で、必ずガイドがつきます。
ガイドさん達はみな周辺のドゥスン族(Dusun)の村出身で、人それぞれだとは思いますが、日本のガイドのようにたくさん喋る人はいないようでした。
入口でのブリーフィングもすぐに終わる。
ガイドの二人はゴム靴と半袖短パンでしたが、これが最も合理的だと後ほど分かってきます。
若い人が多いですが『レジェンド』と呼ばれる70代の方もいました。女性もすごく少ないけど見かけました。
週に2〜3回キナバル山を登っているそうで、脚は筋肉ムキムキ。
ジャングルの中を歩きます。
初日は登山口から標高3280メートルの宿泊地、Panar Laban Hutまで。標高差1400メートル、距離6kmです。
この区間はおよそ1キロごとに休憩舎(PONDOK)とトイレ、ゴミ箱があります。安心!
ただし、PONDOKごとにしっかり休むと、歩きが細切れになりすぎて、ペースを作りづらいかも。2つに1つは水分補給だけにするくらいが良いと思いました。
熱帯の森らしく、霧雨がずっと降りています。Tシャツで歩いていましたが、雨が強まるとそうもいかず、レインウェアの上着をベンチレーション全開で着ました。
それでも汗でびっしょり。多めに水を飲みます。
ガイドさん達は大きな折りたたみ傘をさしていました。半袖短パンも快適そう。やはり地元の人は最適解を分かってる🤔
お昼ご飯はリバーガイドのボウイさんが街で買ってくれた、ボルネオ式おにぎり。
笹の葉を何枚か組み合わせて包んであり、もち米の中に具が入っています。これはピーナッツの甘味噌みたいなもの。
腹持ちが良く、1個で十分な昼ごはんになりました。諸事情により2個食べたけど、食べ過ぎでした。
熱帯らしい多彩な花も見られます。
食虫植物やコケも見ものです。
いろいろな植物の葉っぱがピカピカして、セミや鳥が鳴き、森はにぎやかです。
もし来世に生まれ変われたら、生物学者になってボルネオで研究したいナァ。
知り合いの小屋番さんに森の声が聞こえる人がいますが、ここに来たらどうなのかな?
私は精進が足らないので、全く聞こえません、森の声。
9:30から登り始めてゆっくり高度を上げていき、15:00時頃やっと高山の雰囲気が出てきました。標高3,000メートルくらいでしょうか。
青空ものぞいて、山頂部へ続く岩壁が少しだけ見えてきました。元気が出る!
キナバル山は主に花崗岩の山ですが、ここからは所々に蛇紋岩(serpentine)が露出しています。
蛇紋岩といえば、谷川岳や至仏山と同じ。赤茶けた岩の中で、ツルツルに磨かれた部分があり、まさにおなじみの石の顔色。
山小屋イン〜登山準備
登り始めておよそ7時間、ようやく宿泊地に到着。
長かった!
この日はさっさと寝て、深夜スタートの登山に備えます。
が、その前にご飯〜
宿泊棟がいくつかあり、最大で180人が泊まれるということでした。食事は中心にある建物でビュッフェスタイル。
クリスマシーな雰囲気。キッチンのスタッフはみんなとっても親切です。
ラムチョップからはじまり、野菜や果物もたくさんあり、しっかり食べました。緑のスープは緑豆にタピオカやキャッサバの入ったお汁粉。
高度障害を防ぐために、地元産の紅茶をたくさん飲みます。
この日はPANAR LABAN HUTに泊まり。大部屋にシングルベッドが11台並び、トイレ・洗面も付いている快適な部屋でした。
トイレは水洗で紙も備え付けてあり、外国人にとっては市中のトイレより使いやすい。飲料水とお湯はディスペンサーがあり、無料で手に入ります。
登山の準備を済ませ、インナーシーツ+備え付けの薄い布団で就寝。寒いかと思ったけど全く平気でした。
2日目は4,000メートルまで上がるので寒さ対策が必要です。朝のレイヤリングは下記の通り。
●メッシュ肌着+トレッキングパンツ
●メッシュ肌着+長袖シャツ+インサレーション+ウィンドブレーカー
これに加え、防寒対策として、ニット帽、手袋薄手、テムレス手袋、ネックゲイター、薄手ダウン、を持ちました。
日が出れば暑くなることを考え、重ね着多めです。ハットもザックに入れておきます。
PANALABAN〜山頂
深夜1時頃に起床。ガスが晴れ、素晴らしい星空が広がっていました。
深夜2時から軽食が提供されます。食堂は人がたくさん。お粥は甘いポリッジではなく、中国風のもので食べやすそうでした。
お腹に温かいものを入れて、いよいよ出発です。2:40頃にハイクスタート。
前日は後ろからケータイをいじりながら歩いていたガイドさん達でしたが(笑)、今日は前と後ろについて、リード&フォローしてくれます。
暗い中、階段をユックリのぼっていきます。周りは暗闇で、自分たちがどこにいるかも分かりません。
でも、遠くに登山者たちのヘッドライトが点々と続いています。
あそこまで行くんだ!と、楽しくなってきます。
午前4時半すぎ、SAYAT SAYATチェックポイントに到着。標高は3,668メートル。
こちらで入山許可書のチェックを受けます。係の人が登録名簿と照らし合わせ、往路の通過を確認。
この場所は5:30までに通過しないと、山頂を目指すことは許されません。一安心。
夜が明けてきました。広い花崗岩の斜面が広がります。見たこと無いような岩の造形。
ピョコっと尖っているのが、サウスピーク。
基本的には白い固定ロープ沿いに進みますが、なるべく楽なラインをガイドさんがリードしてくれます。
昨日は薄着だったガイドさんも、今日はジャケットまで着込んでます。しかし足元は変わらず白いゴム靴。足裏が吸盤みたいになっていて、滑りにくそう。サバのadidasだよーって言われたけど・・・どうでしょう?
最高峰はLow'sピーク。出発してからおよそ4時間、7時ころに全員で山頂を踏めました!やったー㊗️
皆さんありがとうございます🤗
下山と帰国、そして「本当に痛い」筋肉痛
ここらからはひたすら下山。
2200メートルを下ります。明るくなると景色も見えて楽しい。
真っ暗な中を登ってきた斜面は、高山のお花が咲き乱れる色とりどりのお花ロードでした。
だが、ひたすら階段でなかなかきつい。
日本の登山道なら、甲斐駒の黒戸尾根くらいだそう。
そりゃきついわ。
10時前にロッジに到着。パッキングを済ませ、大急ぎで朝食を食べて出発です。くだらねば帰れない。
途中、気晴らしに簡単なドゥスン語を教えてもらって、すれ違うガイドさんに声をかけて練習しました。
わたくしレコーダーによるカタカナ表記なので、発音は間違ってると思いますが(笑)こんな感じ。
- ポウンシコー(pounsikou)=ありがとう
- アサナンコスアブン(osonong kosuabon)=おはよう
- ジャランポランポラン=ゆっくり歩こう
- アラマイティー(aramaitii)=乾杯、エンジョイ
この中でも特に「アラマイティー」が大はやり。英語のcheersと同じような意味らしい。
これに「アウース」といいながら喉を撫でるポーズで応えると、「ビール飲むぜ!」という事らしいです。
とんちんかんな集団に対して、ドゥスンのガイドさん達はおおむね朗らかに、楽しく返事をしてくれました🤭
ところで、登山道の脇に太いパイプがずっと続いているのですが、これ、下水管です。標高4000メートル近い場所まで、このバイブが伸びていて、快適な水洗トイレを支えています。
なるほどというかびっくりというか、これが最適解なのかは分かりませんが、こういう方法があるのかと勉強になりました。
おっちら、おっちら、下り続けて15時頃に登山口に到着。コタキナバルに戻りました。
通し番号「695468」の入った登頂証明書ももらえます。カラフルで可愛い。IDタグもお土産に。
『地球の歩き方』によると、年間2万人が山に登るらしい。その中の何人くらいが完歩するのでしょうか。
後日談。翌日は帰国日、パッキングに夜遅くまでかかり、睡眠時間は3時間ほど。
トランジットを含めて20時間近い移動中、あまり身動きとれず、気温も低く、筋肉がカチカチに。空港内を歩くのも辛い状態に。
歩く歩道でストレッチするも、手遅れ感。
同じような強度のコースでも経験したことの無い、とんでもなく酷い筋肉痛になりました。
登山から3日経っていますが、まだカクカクしています。筋肉だけでなく靭帯も痛みます。たまに膝が抜けるような感覚もあり、もうこれは筋肉痛ではなく、怪我ですね…
家族によると、帰国した日の夜、「本当に痛い…」と寝言を言っていたそう。
本当に痛かったのです🤣
来週からスキー場でのお勤めが始まるけれど、シーズン始めからめちゃくちゃ降ってる様子。
スキーできるかな?心配です。
体をたくさん使ったあとは、お風呂に入ってケアして、しっかり寝るのがマジで大事ってことですね。学びました😇